14. 固まる決意

2024/08/14
ピンク式部
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親友の後押し

 しばらく放心していたナツは携帯を手に取り、親友のリカに電話をかけた。

「ナツ、どうしたの?声が暗いよ」

 久しぶりに聞く親友の声に、ナツの心は少し落ち着きを取り戻した。ナツは深呼吸をして、これまでの出来事を話し始めた。ユウトの不倫の証拠、そしてタカシとの関係についても。リカは黙って聞いていたが、ナツの話が一段落すると、静かに尋ねた。

「ナツ、あなたはどうしたい?」

 その言葉に、ナツは言葉を失った。自分が何をしたいのか、本当のところ分かっていなかった。

「って言ってもまだ混乱してるよね」リカは続けた。

「タカシのことはいったん置いておいて、まずはユウトとどうしたいか考えよう。今ユウトに対してはどんな気持ち?」

 ナツは躊躇した。

「あの一件以来、家の中でも他人みたいだったんだけど、それでも今日のことがあるまでは、ユウトのことも嫌いになったわけじゃなかった。今は…ごめん、…気持ちの整理がついていない」

「そう…まずは白黒はっきりさせたい?」リカの声には理解が滲んでいた。

「うん…、まずはどこまで私を裏切ってきたのか知りたい…、怖いけど…。それ次第で結婚についても改めて考え直したいかな」ナツは自分の気持ちを整理しながら言った。

「そう…。じゃあ探偵を使って事実を突き止めるのはどう?私が離婚したときのことは前に話したことあったよね」前の夫の浮気が理由で別れたリカは、前の夫の浮気を探偵を使って浮気の証拠を掴み、慰謝料を夫から受け取っていた。

 しかし、ナツはその考えを即座に否定した。

「事を荒立てたくないの。それに…私にも引け目があるから」

「ナツはいい人すぎるよ!」とリカは言ったが、その一言でナツの考えが変わらないことは知っているようで、すぐに続けた。

「それなら、ナツ自身のできる範囲で事実を突き止めて、ある程度状況証拠が揃ったら、それをユウトに見せて説明を求めるのが良いんじゃないかな…。私でよければその場に立ち会うよ」

 リカは続けて参考までにと、かつて元旦那の浮気を突き止めたときに自分がやったことを説明した。ネットの観覧履歴や交通系ICの利用履歴をチェックする、GPS機器を借りてタカシのカバンに忍ばせておく、など…。そのどれもが、今のナツにとっては有用な知識だった。

「ありがとう、リカ。自分でやれる範囲で、事実を突き止めてみる。GPSもバレないように忍ばせてみる」

 そして、ナツは思い切って付け加えた。

「それと…リカ、お願いがあるの。マッチングアプリでユウトとマッチできないかな?」

 リカは一瞬驚いた様子だったが、すぐに理解を示した。

「分かった。ナツのためにユウトをおびき寄せてみるよ。どんな女になりすましたらいい?」

 電話を切った後、ナツはベッドに横たわった。明日からは、また普段通りの生活が始まる。生徒たちの前では、いつもの先生でなければならない。しかし、その仮面の下で、ナツは今後どうするかを悩み迷わなければいけないのだった。

 リカの言葉が頭の中で繰り返される。

「ナツ、あなたはどうしたい?」

固まる決意

 ナツは、夫ユウトの不倫の証拠を集めるため、静かに行動を開始した。彼女の直感は正しかった。ラブホテルのレシートを見つけて以来、ユウトは用心深くなったが、それ以前の痕跡は残されたままだった。

 ユウトの不貞の証拠が、まるで雪崩のように積み重なっていく。最初は単なる疑いだったものが、今や動かぬ事実となっていた。ナツは震える手で、スマートフォンで撮影した証拠の数々を確認した。

「一年前から…か」

 ナツは呟いた。証拠を総合すると、ユウトの不貞は約1年前には既に始まっていたようだ。ユウトのパソコンの閲覧履歴にナツの趣味ではない女性向けブランドショップのサイトが並んでいた。どうやらプレゼントを探していたらしい。ナツの胸に怒りと悲しみが込み上げてきた。

 そして3ヶ月前に、その相手とは別れたらしい。

(これ、もしかして…、私の体を求めてきた時期と一致する…?)

 ナツは寒気を覚えた。

 その後も新たな出会いを求めている様子が伺えた。交通系ICカードの履歴には、仕事で遅くなると言っていた日に、職場から向かって家とは真逆の繁華街で降りている記録が何度も残されていたのだ。ユウトのカバンに忍ばせたGPSの記録も、それを裏づけていた。

 証拠が山積みになる中、ナツの親友リカから連絡が入った。

「ユウトらしき人とマッチングアプリでマッチして、デートに誘われたよ」

 リカのメッセージは事務的だったが、ナツの心を穿つには十分だった。もはや怒りのジェットコースターで心が疲れていた。ただ、全てが終わったという静かな諦めが心を支配した。

「一緒に待ち合わせ場所に行こう」というリカの提案に、ナツは、

「ありがとう。でも、これは私1人で向き合わなきゃ」と断った。

 ・  ・  ・

 待ち合わせの日、ナツは約束のカフェに向かった。入口から遠い席にユウトの後ろ姿が見えた。彼は誰かを待っているようだ。ナツは静かに近づき、ユウトに声をかけた。

「ユウト、お待たせ」

 ユウトが振り返る。その顔に驚愕の色が広がる。

「な…ナツ!? どうして…」

 ユウトの言葉は途切れた。彼の目に映るナツの表情が、いつもと違うことに気づいたのだろう。

 ナツはユウトの前に座った。

「もう終わりにしよう、ユウト。私たちの結婚も、あなたの嘘も、全て」ナツの声は冷たく響いた。「全部わかったの」

 ナツはしばらく押し黙った。カフェの喧騒も、二人の間に流れる沈黙の前には息をひそめるようだった。

 やがて口を開いたナツの、極力感情を配した説明に、ユウトの顔から血の気がどんどん引いていった。押し黙ってナツの説明を聞いていたユウトは、やがて「ごめん、本当に…」と口にし、うなだれた。

 その姿を見るナツには冷たい怒りの感情に加え、憐憫とほんの少し良心の呵責も湧いたのだった。

一人暮らしの部屋で

 ナツは窓から差し込む柔らかな陽光を浴びながら、静かに深呼吸をした。部屋の中を見渡すと、元夫の存在を示すものは跡形もなく、狭いがすっきりとした空間が広がっていた。

 ナツは離婚届にサインをした日のことを思い出していた。ナツが慰謝料を求めなかったこともあり、わずか数週間で全ての手続きが完了した。子供を授からず、互いが仕事を続けていたことは、事ここに至っては幸いだったのかもしれない。

 心の中には確かに虚しさがあったが、同時に不思議な解放感も感じていた。長年の重荷から解き放たれた、「自由」という名の頼りない軽やかさ。

 ナツはスマートフォンを手に取り、ためらいがちに画面をスクロールした。そこには、タカシとの最後のやり取りが残されていた。あれから2ヶ月。タカシからの理解を示すメッセージに、ナツは何も返信できずにいた。

 忘れていた訳ではない。それどころか、タカシと交わしたお互いの気持ちを、体を確かめ合った記憶は、ナツのここ2ヶ月の苦しい日々の密やかな支えになっていた。離婚を決めてからも、何度、返信しようかか迷ったことか。

 ナツは窓の外を見つめた。新しい季節の訪れを告げる風が、カーテンを優しくなびかせていた。

 指が震える。ナツは深く息を吐き、決意を固めた。今なら、あの時できなかった返事ができる。たとえ遅すぎたとしても、自分の気持ちを伝えなければ。

「突然の連絡、ごめんなさい…」

 ナツは慎重に言葉を選びながら、メッセージを打ち始めたのだった。