3. 潜入捜査の始まり

2024/07/22
ピンク式部
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違和感の残る朝

 翌朝、朝日が差し込む寝室で、ナツは目を覚ました。リビングに向かうと、既に着替えたユウトが、iPhoneを操作していた。

「おはよう」とナツが声をかけると、ユウトは少し驚いたような表情を見せた。

「あ、おはよう。ナツ」

 ユウトの声には、どこか落ち着かない様子が感じられた。

「昨日、俺のiPhone充電してくれたんだね」

 唐突な質問に、ナツは少し戸惑いながら答えた。

「うん、リビングに置きっぱなしだったから」

「そう…ありがとう」ユウトは言葉を選ぶように続けた。

「その時、俺のiPhoneなんかおかしくなかった?」

「いや、特に気づかなかったけど…」

 ナツは昨夜、iPhoneをリビングのテーブルから落としてしまったことを説明した。

「あーそうだったんだ、そのことなら全然大丈夫そうだよ」

 ユウトの、返事をしながらもナツの反応を伺う様に、ナツは違和感を覚えた。本当に知りたかったことはそこではなかったように感じられた。

 その日一日、ナツは仕事中も、朝のやり取りが頭から離れなかった。

膨らむ疑惑

 仕事から先に帰宅したナツは、少し休憩すると洗濯を始めた。洗濯物を干しているとき、ユウトのパンツのポケットから1枚の紙切れが落ちた。拾い上げると、それはラブホテルのレシートだった。

 ナツの頭の中が真っ白になる。

 日付は、ちょうど学校の宿泊行事でナツが泊まり込みのため、不在の時期。

(どういうこと…?)

  ・   ・   ・

 その夜、帰宅したユウトを問い詰めた。

「これは何?説明して」

 ナツがレシートを差し出すと、ユウトの表情が一瞬凍りついた。

「…実は…、風俗で使ったんだ」

 ユウトの言葉に、ナツは息を呑んだ。

「先輩に煽られて…単に好奇心だったんだ」

「ほら、そういうこと全然経験したことないって話したら、試しにやってみろよって言われて」

「本番行為のあるような風俗じゃないんだ」

「正直気持ち良くもなかったし、その時一回だけで、もうやってない」

 ユウトは慌てて言い訳を並べ立てた。思いがけない返答に自然とナツの言葉が尖る。

「…先輩って誰?」

「…坂木先輩だよ、ナツも名前は知ってるよね?」

「…本番行為のあるような風俗じゃないってどういうこと?」

「お試しで、性感マッサージをやってもらっただけなんだ。体マッサージして気持ちよくしてもらって、手で出してもらっただけなんだ」

「…そういうのやるのって、夜の生活に満足できてないからなの…?」問うナツの声は思わず上ずった。

「いや、ほんとにそういうわけじゃないんだ。男として一回は経験しとかないとみたいな、ただの好奇心で。それがナツをこのような形で傷つけるなんて思ってもいなかったんだ。本当に申し訳ない」

 その後も押し問答を繰り返した結果、問い詰めようにも聞きたいこともなくなり、ナツは黙った。怒りと悲しみが入り混じった複雑な感情が胸の中で渦巻いていた。

「もう二度としない。許してくれ」

 ユウトの謝罪の言葉に、しばらく沈黙を続けたナツは一旦頷いた。少なくとも嘘はないように思えた。

潜入捜査の始まり

 その夜。ユウトは気を使ってか、ベッドの端で小さくなって寝ている。一方のナツはといえば、なかなか眠れなかった。朝の出来事が思い出された。

(あの時の通知アイコンの1つ…マッチングアプリじゃなかったかな)

 あのとき、とっさに目をそらしたが、見慣れたLINEの緑のアイコンなどに混じって、マッチングアプリを思わせるハートのアイコンがあったような…。

 疑惑が膨れ上がり、ナツは衝動的にベッドから抜け出した。寝室からユウトの部屋に移動し、ユウトのiPhoneを確認する。しかし、ロック画面に通知が表示されなくなっていた。

(これってこの1日の間に設定変更したってことかな…怪しい…)

 すっかり目が冴えてしまったナツは、そのままリビングルームのソファで自分のスマートフォンを開き、アプリストアを検索し始めた。

 マッチングアプリを順に調べると、見覚えのあるハートのアイコンが見つかった。ナツの心臓が跳ね上がった。

 調べてみるとそのアプリは、独身者限定のアプリという触れ込みだが、既婚者でも簡単に使用できるらしかった。

 ユウトがiPhoneにマッチングアプリをダウンロードしていることはほぼ確実だ。

 とはいえ、ユウトに問いただしたところで、きっと「仕事のリサーチだよ」とか「あー消し忘れてた、今消すよ」なんて言い訳をするに違いない。それどころか、「勝手に俺のスマホ見たの?」と逆に責められかねない。

 次に「夫 浮気 マッチングアプリ」というキーワードでインターネットを検索する。同じような経験をした女性たちの体験談を、上から貪るように読んでいく。

 その中で、ある記事が目に留まった。

「夫の浮気を暴くため、マッチングアプリで潜入捜査しました」

 それは、夫のマッチングアプリでの浮気を疑った女性が、マッチングアプリ上で他の女性に扮して夫のアカウントとやりとりすることで、夫の浮気の動かぬ証拠を見つける体験談だった。

 ナツは記事を食い入るように読んだ。

(私も、同じことをやってみたらいいんじゃ…)

 ナツは深呼吸をすると、マッチングアプリをダウンロードして偽プロフィールを入力し始めた。

 名前のアイは、ユウトが以前から好きな女優から採った。その女優をイメージしながら、ユウトが好みそうなプロフィールを入力していく。ステータスは独身。年齢は2歳サバを読んで28歳、とした。性格や職種、順番に入力していく。

 プロフィール写真にしばし悩む。ユウトのもともとのタイプを想像した結果、独身時代に友達の家で試した派手なメイクとファッションの写真から、顔の部分を外して登録した。もちろんユウトはこの写真の存在自体を知らない。

 送信ボタンを押す直前、ナツは一瞬躊躇した。しかし、ユウトへの疑惑を思い出し、決意を固めた。

「送信」

 画面が切り替わり、おすすめのマッチング相手が表示される。ナツは息を呑んだ。

(こんなに簡単に出会えてしまうなんて…)

 目的は潜入捜査。そう言い聞かせないといけないくらいには、新しい出会いの予感は魅惑的だった。